JPAL 日本出版美術家連盟

問い合わせる
閉じる
岩田専太郎(故人)
いわた せんたろう
1901年(明治34年)6月8日、東京市浅草区黒船町(現在の東京都台東区寿)に生まれる。旧制尋常小学校卒業後、菊池契月、伊東深水に師事する。
1919年(大正8年)、十代後半から『講談雑誌』(講談雑誌社)で挿絵を発表しはじめる。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で被災し、大阪に転居。中山太陽堂の経営する広告出版社プラトン社の専属画家となる。同年創刊の『女性』(小山内薫編集)、翌年創刊の『苦楽』(直木三十五、川口松太郎ら編集)で、永井荷風らの連載小説の挿絵を描く。
1926年(大正15年)には東京に戻り、同市滝野川区田端476番地(現在の北区田端)に転居する。この界隈は「田端文士村」と呼ばれた町で、すぐ後には隣に川口松太郎が引っ越してきている。同年『大阪毎日新聞』に吉川英治が連載した『鳴門秘帖』に挿絵を描いて評判を呼び、「モダン浮世絵」と呼ばれた。
1937年(昭和12年)、映画監督山中貞雄の遺作となった四代目河原崎長十郎主演の映画『人情紙風船』(P.C.L.映画作品)の美術考証を手がけた縁で、1939年(昭和14年)、山中の遺した原案をもとに梶原金八が脚本を書き、河原崎が主演し、山中の助監督だった萩原遼が監督した映画『その前夜』(東宝映画京都撮影所作品)の美術考証を手がける。
1954年(昭和39年)、第2回菊池寛賞を受賞。
1974年(昭和49年)2月19日に死去。72歳だった。
挿絵(カラー)
挿絵